三遊亭円弥師匠死去

幻の噺家、というフレーズを自称していた。最近どうしているかな?と考えていた。

asahi.com:落語家の三遊亭円弥さん死去�-�おくやみ.

銀座の東芝ホールで円弥師の噺を聞いた。演目は「三十石」。船のなかで暇をもてあます旅人のたちのたわいのない風景を描いたもの。そのなかの、紀伊国屋文左衛門のみかん船にかけた「沖がくらいのに白帆が見える」という謎かけが馬鹿におかしくていまだに忘れられない。

生真面目で端正な芸風。派手なところがない。風貌もまさに「幻(まぼろし)」のごとくはっきりしない目鼻立ちだった。でもよく見ると渋い二枚目。玄人好みのするいい噺家だった。

あの「三十石」。夏時分で白のすっきりした着流し姿。

その後一度もあの「三十石」は聞いたことがない。爆笑の思い出、円弥師匠。

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桂文楽「愛宕山」

さわらびの握りこぶしを振り挙げて山の頬面春風ぞ吹く

さわらびのにぎりこぶしをふりあげてやまのほおづらはるかぜぞふく

風情のある狂歌だ。(*)

文楽の愛宕山。暇をもてあました大店の旦那が、若い衆を連れて愛宕山に登る。お供は口から先に生まれた太鼓持ちの一八。旦那は一八をからかいながら春の行楽を楽しむ。

女衆も、たすきがけで山を登っていく。緋縮緬の長襦袢が歩くごとに裾から、ちらちらちらちら見えてまことにいい風情。長閑な春の行楽を満喫する。

調子のいい一八は旦那に冒頭の狂歌を、さも今思いついたように聞かせる。あまりの出来映えに感心した旦那は、一八を褒めて小遣いをやろうとするが、ふと気付いて、「おい、一八。お前はさわらびってものを知ってるかい?」と聞く。しどろもどろの一八。「なんだ、盗み句だな?お前の腹からだったら小遣いもやったんだ」。悔しがる一八。

近頃くだらない俳句だか川柳だかわからないゴロ合わせのようなものが横行している。第一生命のサラリーマン川柳(綾小路きみまろがネタ元にしていたことで知られている)や、伊藤園のお茶のペットボトルについている愚にもつかない「標語」。

そのなかから、いくつか。

ウォームビズ ふところ常に クールビズ(第一生命)

メイドカフェ 冥土のみやげに 行ってやる(第一生命)

こんな日は風がないから風になろう(伊藤園・大賞受賞)

プール開き太ももで水を切りひらく(伊藤園・文部科学大臣奨励賞)

くだらない。実につまらない。陳腐としか言いようがない。なんなんだ、これは。

サラリーマン川柳の時代の流れに棹さす悪のりぶりが痛々しい。こんなものが面白いか?

伊藤園の俳句はなんだ。一茶の俳句が大好きだが、一茶の一言一言に較べてなんたる軽薄。こんなものは広告屋の悪どい剽窃だ。審査員が広告屋ばかりだから仕方がない。日本人の大切な文化財を愚弄している。腹が立つ。これこそ衆愚のなせる業だ。

太鼓持ちと言っても何のことか解らないだろう。落語をいくつか聞けばすぐ解るのに。太鼓持ちの出てくる落語は多い。可楽の「富久」に出てくる酒癖の悪い久さん。旦那の針の実験台にされてしまう「幇間腹(たいこばら)」などなど。

志ん生の落語「品川心中」や「居残り佐平次」を元にしたフランキー堺の映画「幕末太陽伝」を思い出してもらえば、幇間や江戸の遊郭の雰囲気がわかる。

落語「愛宕山」は、旦那一行が頂上について「土器(かわらけ)投げ」に興じるところからどんどんエスカレートしてとんでもない展開になっていく。一八の金に執着する姿がおかしくも悲しい。桂文楽の至芸だ。

春の落語。季節を歌い長閑な風情を漂わせ異空間にまで連れて行ってもらえる。「おかしくてやがて悲しき落語かな(お粗末な剽窃です)」。

桂文楽(くれぐれも先代の)。桂文楽の録音を聞いてください。「愛宕山」「船徳」。どちらも抱腹絶倒です。

(*)野暮を承知で解説を。
早蕨(さわらび)は、まだつぼみのわらび。手を握っているように見える。その形を握り拳に見立てて、山の顔を「張る」=殴る。「春」が掛け調(ま、駄洒落ですね)になっているところが味噌。

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レコード大賞、幸田なんとか。

2006-01-03 02:17:09

テーマ:音楽・本・ラジオ

紅白でも見たが、この人、エロくも格好良くもない。もちろん可愛くない。

俺は、エロも、格好いい女の子も、可愛い女の子も大好き。「エロ格好いい」「エロ可愛い」のは大歓迎。

だが、この幸田さん、俺にはなんのアピールもない。場末の水商売女だ。水商売の女の子たちには人気があるのかな?俺の嫌いな「ファンシー」なヤンママ系、ギャル系、マンバ系(?)には人気があるのかな?

衆愚の俗悪さが拡大されて幸田なんとかに体現されている。

さらに劣悪なことに、NHKが幸田なんとかを紅白に出演させ、アリスだったか、のすけべ親父三人組にピンぼけな小芝居をさせたこと。オジサンたちはこういう子が大好き、という、NHKが机の上で考えた類型をやって見せた。

馬鹿どもが。

親父たちは、キャバクラには行くが幸田なんとかなんか知るはずもない。若い頭の悪い女子のカリスマなのに。勘違いもいいところ。NHKのそのシナリオこそ、NHKが幸田なんとかをどのように捉えているのかを如実に示している。

貶んでするだろう、NHK。

半裸の売春婦まがいが流行っているらしい。どうせ親父がスケベ心で見たいだろう。そういうなめた態度が垣間見える。そのくせ、裸はやめてくれ、というわけだ。

これらすべてのことが気にくわない。

幸田なんとかをまったく評価しない。NHKの不見識も厭わしい。

真面目にやれ!!!裸になればエロか??そんなら相撲取りなんか大エロだ!!!!

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ドリフの赤鬼?安達祐実「積木くずし」

2005-05-23 09:35:17

テーマ:映画の周辺

新聞の写真を見て吹き出した。

ヤンキーは美貌でなくては似合わない。童顔のファニーフェイスではコントだ。


あんまりおかしかったのでここに書き留めます。

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こぶ平の正蔵、ゆるい仕事ぶり。

ラジオの全国銀行協会のコマーシャルで、こぶ平の正蔵が下手くそな落語まがいをやっている。キャッシュ・カードの暗証番号を誕生日にしてはいけない、というアピールだ。

それがまずい。台本を読むにしてももっとうまくやれ。落語仕立てが痛い。こぶ平の正蔵、明らかに下手なんだもん。最初、知らない前座が棒読みにやってるな、と思ったよ。テープの笑い声まで入っている。大看板の林家正蔵がやる仕事ではない。

こぶ平の仕事ならぴったり。落語家なのに古典が下手、というのは今のトレンドにかなっている。春風亭昇太がそうだ。意図して古典から離れよう離れようとする立派な落語に対する愛情表現だ。昇太、売れてるでしょう。今の生きている落語が語れるからだ。

台本に書かれた落語を下手に演じるな!やっぱりこぶ平の正蔵は「二木ゴルフ」の「すぃんぐすぃんぐ、ヘイ!ニッキー!!二木ゴルフ~♪」が似合っている。

ぺやんぐの桂文楽に並び、こぶ平の正蔵も俺は認めない。

こぶ平は面白い。日本テレビの「もぐもぐコンボ」。まだやってるのかな?全国を回り、その地方の素材を使って小学生が料理をする。司会のヒロミとこぶ平がその料理を味わう、という趣向のバラエティだ。

ヒロミに虐められて冷や汗をかく、しどろもどろのこぶ平は最高だ。本人は嫌だろうが、あれがこぶ平の良さだ。小学生にも容赦ない突っ込みを入れる悪ガキ、ヒロミ。小学生のようなこぶ平。最高だった。

林家正蔵を襲名して、これからは古典も勉強する、って順序が逆だろ?正蔵という大看板は古典の世界でこそ意味のある名前だ。タレントとして有名だから、年齢も上がってきたからそろそろ、などという理由で名乗っていいはずもない。そこがまず間違っている。

林家三平だってタレントとして有名になったが、正蔵を名乗るには躊躇を感じていた。その結果のしどろもどろ、悪戦苦闘、半狂乱の人生、芸風。あれはあれで良かったのだ。

こぶ平も、いつまでたってもヒロミに虐められる駄目キャラとして立派に芸道を突き進んで欲しかった。そうすれば三平が大看板になったように、「こぶ平」が後生に語り継がれる名跡になったのに。

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上島竜平のコメディアン根性。

2006-01-03 02:44:08

テーマ:演芸・芸人

ダチョウ倶楽部の上島竜平。

しどろもどろで芸なんかない。熱いおでんを顔に押しつけられ「熱い!」と本気で飛び退く芸風(?)。

ピエロだ。

俺は上島竜平が好きだ。上島先生、と呼んだりする。コメディアンとして優れているとか才能があるとか。。そんなことはどうでもいい。上島竜平は、馬鹿で駄目で能なし芸無しを自認して、どれだけ虚仮にされるかが勝負だ。

なぜ、俺は上島先生と呼ぶか。

あるラジオ番組で、上島竜平はこんなことを言った。

「俺は、何やっても駄目だけど、こんな駄目な俺が、あ、また上島、馬鹿やってるなあ、とホームレスに言われたら本望だ」。

ホームレスに、上島馬鹿だなあ、と笑われるようになりたい、と言う。この言葉を聞いて俺は上島竜平を先生、と呼ぶようになった。

ホームレスの駄目さは、現実世界で上島竜平が稼ぎ出す金のことを考えるとよくわかる。おまえらホームレスは上島竜平を笑える立場じゃない。いくらでもホームレスをなじることが出来る。

しかし、笑いというものは、現実世界で自分の愚かさのためにホームレスになり、さんざんきちんとした人たちから痛めつけられ、心を失なっている人にさえ、ほんの一瞬でも解放感を与えるのだ。

上島先生はそのことを言っている。

最近の「お笑い芸人」たちは、「女の子にもてたい」、から始まって、「とにかく有名になりたい」「金を稼ぎたい」と二言目には言うような連中ばかりだ。それはそれでいい。人一倍上島竜平もそう思っていることだろう。

上島先生の芸が素晴らしいとか、センスがあるとか。。そんあことはどうでもいい。面白いけど。笑うけど。

「ホームレスに、上島龍平、また馬鹿やってるなあ、と笑われたい」。

思いっきり志の「低い」上島竜平が好きだ。

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桂文楽「寝床」ディレッタントの悲しみ。

先代の桂文楽。おなじみの「寝床」。いまの文楽「ぺやんぐ」の桂文楽は下手くそ。文楽の名を汚す下駄面。俺は認めない。

桂文楽(八代目)
落語名人選 寝床/素人鰻

人情家で慈善家、面倒見のいい大家さん。唯一の欠点は義太夫を語ること。素人だから下手なのは仕方ない。この下手さ加減が詳細に語られる。まともに聞いたとたん熱を出して寝込んだおばあさん。医師の見立ては「義太熱だ」。くだらない。実にくだらない。でもこのくだらないフレーズがたまらなく可笑しい。

この落語をはじめて聞いたのは小学生の頃だ。文楽の録音で聞いた。さっき聞いたのも含めて少なくとも200回は聞いているだろう。ほとんどのフレーズは記憶している。くすぐり(所謂ギャグのことですな)も知っている。でも聞く度に笑ってしまう。口調というかタイミングと言うか。芸人に言わせると「間」というやつだ。

下手だけど、金があるからみんなを招いて義太夫を語るにあたり、料理人を雇い、酒やお茶、お菓子の段取りまで心を尽くして長屋の店子や自分の店の従業員をお客さんとしてお迎えする準備をする。

招かれる側は大家さんが義太夫を語るとなると、涙ぐましい言い訳をして義太夫を聴かない算段。苦労人の番頭が旦那の機嫌を損ねないように様々な言い訳をする。これがとてつもなく可笑しい。言い訳を列挙してみよう。どうせ暇だから。

提灯屋。因果と義太夫好き。お得意に開業式があって、ほおずき提灯を混ぜて三束五十ばかり請けあって今晩の内に仕上げなくてはならない。「こういう仕儀であるからせっかくのお催しであるが今晩はうかがわないからあしからず」というお断り。

大家のコメント。「なんて因果な奴だ。この前も私の義太夫が聴かれなかった。力落とすといけないから、この頃に暇なときに刺しでもってみっちり聞かしてやるから力つけてやんな。」

金物屋。無尽があって「初回が親子内の無人。親子内の無尽に不参をするわけに行かないから残念ながら伺わないからよろしくとの・・。

大家「まあ用なら仕方がない。こっちは遊びだよ。」

裏の吉田の息子。今朝商用でいちばんで横須賀に立ってお帰りは終列車。もっともおっかさんがいらっしゃいますが、お年寄りでお風邪をめしまして。大変に寒気がする。こういう訳であるから伺わないからよろしく。

大家「今年はまた病人が多いね。陽気が悪いからな。気をつけなけなくちゃいけない」。

小間物屋は?おかみさんが臨月でございましてな。今朝から急に虫がかぶったとの。家内が産をするのに義太夫を伺っていたなんていうことがご実親類の者やなんかにわかると煩そうございますから・・・。

大家「だから病人ならしかたがない。そう言ってるんだよ」

豆腐屋はどうしたい。お得意に年会がございますので。生揚げとがんもどきのあつらえを八束五十ばかり請け負ったと。・・・・・そういうわけであるから旦那によろしく。

頭はどうしたい?成田の講中にごたごたがあってあすは一番で成田に発つとの。一番と言うと五時でございます・・・・。

大家「わかったわかった。長屋の者は誰が来るんだ」。

「へえ、どうもお気の毒さま。」

長屋の者のみならず自分の店の従業員もことごとく言い訳をして旦那の義太夫の会に来ようとしない。

やんぬるかな!

「まだ青い素人浄瑠璃黒がって、赤い顔して黄な声を出す」。「寝床」の枕に振られる蜀山人の狂歌だ。この通りのことは現代でも頻繁に起こる。

下手くそな上司のカラオケを聞かなくてはならないサラリーマン。同じ心境だろう。下手くそな学生バンドの演奏会に付き合いで行ったときとか。ピアノ教室の先生がおさらい会で弾いたはいいけれど、実はぼろぼろで止まる寸前。でも誰もつっこめない、とか。。。

名のある教師でも、実は下手くそな教師のリサイタルの切符を買わされるのには閉口する。いい教師、必ずしもいい演奏家ではないからね。

だがこの大家さん素人だ。よくそのことは自分でわかっている。だから、酒、料理、お茶にお菓子を整えて、それでもなんでも聞いて欲しいのだ。

俺は断言する。大家につき合わない店子、従業員!おまえらが悪い。お前らは芸術愛好者の気持ちをわかっていない!!演芸評論家の安藤鶴夫も素人義太夫語りだった。「寝床」について、同じ感想を書いている。

悲しきディレッタントの孤独が見事に表現された落語が「寝床」なのだ。面白いよ。

如才ない番頭が旦那の気持ちを取りなす場面がある。桂文楽(先代!)の真骨頂。大家の独白だけで番頭のとりなし言葉や場面が彷彿とする。素晴らしい一人芝居。すっかり機嫌が良くなっていく様子が目に見えるように演じられる。

隙なく密度の高いくすぐり(ギャグ)が詰まっている。ほんの少し書き起こそうとしてそのことに気付いた。歯切れのいいスピードある言葉に可笑しさが詰まっている。何度聞いても聞き飽きない可笑しさ。これこそ桂文楽だ。洗練されたギャグ、フレーズ。

番頭が苦し紛れに言う一言。「因果と丈夫」。このくらい可笑しい言葉はない。大家が怒り狂うのももっともだなのだ。「因果と丈夫とはなんだ。無病息災これくらい有り難いことはない。高い米を食って生意気なことを言うな!」

いまでも俺の中に刷り込まれている言葉。こっそり「因果と丈夫」、と心の内でつぶやく場面は多い。

桂文楽。聞くべし。日本人で桂文楽の落語を知らないのは不幸だ。恥だ。

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チュートリアル!!バンザイ!!

テーマ:演芸・芸人

M-1のバーベキュー・ネタでも爆笑した「チュートリアル 」。

昼からの吉本の番組で見た。

火曜サスペンスが怖い、というところから、俺が一緒にいてやろうか?というボケが決まる。田舎の温泉旅館で起こる事件という設定だが、タクシーのピストン輸送への執拗なこだわりで爆笑。

温泉旅館を訪ねるOL三人組。そのひとり「あごえさん」の微妙なリアル感。イケメンの徳井がうまい。この人もニコリともしないで異様なこだわりを見せる。萩本欽一、ポール牧、たけし、太田光の系譜に属する正統異常者だ。異常者が正常人を翻弄する。ザ・ぼんちのおさむちゃんも同じだ。

チュートリアル、面白い。来年来るぞ!!

笑い飯、やっぱりうまい。「ガムの妖精」。笑った!この二人はどちらも異常者というところが他と違う。二人とも目が絶対に笑わないのがいい。

「麒麟」。右の「言語異能者」が常識人を翻弄する。面白い。右の男はピンでもいくらでもできそうだ。いまは左の男が、右の男の言語芸を実体化するサポートをしているに過ぎない。

インパルスの板倉。この男もいかにも「イチビリ」の顔をしている。異常者の系譜、太田光に属する男だ。見かけのデブとヤセという組み合わせもよく、この人たちはコンビで面白い。堤下も面白い。

大木こだまひびきさんは余裕で爆笑を取っている。「腕、あげたな!」で爆笑。少しずつ言葉を換えているところがベテラン。プロだなあ!

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「ブラック・マヨネーズ」 初めて見た。

2005-12-25 23:20:13

テーマ:演芸・芸人

M-1、面白かった。

「笑い飯」惜しかった。俺は好きなネタだったけど。余裕ありすぎな気もする。二人ともニヤつかないところがいい。ボケでも突っ込みでも、真顔でにこりともしないから可笑しい。

「南海キャンディーズ」、しずちゃん、やる気ないんだもん!俺は受けたけど。シャワーを浴びて、電話に出て、彼氏と言い合った後、何か飲んで「あたし、なにやってんだろ」とアンニュイになるところ、笑った!

「麒麟」も初めて見た。最初のネタ面白かった。向かって右の男の言語感覚が異常に鋭い。滑舌もいいし、声もいい。タイミングの芸がことごとく決まっていて才能を感じる。スピードがあるし面白い。

「チュートリアル」のバーベキュー・ネタも笑った。左の男の真剣さが面白い。

「ブラック・マヨネーズ」は、異常者が常識人を翻弄する系のネタだ。立川談志演じる理屈っぽい与太郎のおかしさがある。コンビでは、萩本欽一、ポール牧、爆笑問題の太田光、こだまひびきのチッチキチーのほう。

異常に狭いところにこだわってエスカレートする。最高潮で常識人を張り飛ばす。パターンは同じだが、こだわり方が面白い。この人たちも、ニコリともしないところがいい。

敗者復活組の「千鳥」。幕末ネタというへんてこな設定だったが、芝居の掛け合いが面白かった。

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「セクシュアルマイノリティ教職員ネットワーク」って馬鹿?

2005-12-22 11:55:27

テーマ:雑感

「セクシュアルマイノリティ教職員ネットワーク」の設立趣意 の冒頭の記述。

人間は本来、誰もが多様なセクシュアリティ(性と生)を生きる当事者であるはずだ。しかし、人間は「女」または「男」のどちらかに生まれ、「女の子」は「女の子」らしく、「男の子」は「男の子」らしく育てられ、異性を愛し、結婚して子育てをするという、きわめて画一的な生き方を強いる社会の圧力のもと、多様性は隠蔽されている。

理解不能だ。

「人間は本来誰もが多様なセクシャリティを生きる当事者であるはず」

この前提がわからない。本来、人間は男か女に生まれるのではないのか?「性」は所与のものだろ。「生」は環境両親家庭によるものだが。性器の奇形もあるだろうが。

「半陰陽」という言葉があり、「ふたなり」という言葉も聞いたことがある。これが何を意味するのか正確な定義は知らない。漠然と、性器の奇形で、男性器と女性器が一人の人の身体にある、という程度の認識だ。しかし、このごく例外的なことを持って、多様な「性と生」とくくられてはたまらない。

その後の文脈の、男の子らしく以下、「結婚して子育てをするという、きわめて画一的な生き方を強いる社会の圧力」っていうのが、もう、ものすごい粗雑な論理だ。

例外を一ついえば、この文章の趣旨が全部ひっくり返るというわけだ。

言ってやろう。

そんなことはない。生涯独身で楽しく暮らす人もいる。子供のいない夫婦だってある。なにが「きわめて画一的な生き方」だ。おまえらの盲信じゃないか!!!

こんな誤った思いこみを被害者面して書いておけるのは、創価学会のきのうのあんちゃんと同じ「信者」の構造だよ。通常の論理や常識が見えていない。

頭悪い奴らが説得力のないことを書いて、それを朝日新聞がバランスを欠いて取り上げる。これが馬鹿左翼構造だ、朝日の記事にはこの手の市民運動系の記事がまぎれ込んでいるから油断できない。

朝日や岩波だけ見ていると馬鹿になるからね。聖教新聞だけ読んで他のすべての週刊新潮、週刊文春等の「本」は全部嘘だ言う人になっちゃうよ。

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