「パフューム(香水) ある人殺しの物語」 壮大なホラ話。

ジャン=パティスト・グルヌイユ。主人公の名前だ。魚の臓物の腐敗臭にまみれてこの世に産み落とされる。五歳まで言葉を発せず、特別に鋭敏な嗅覚を持つ。

この男がいかにして残忍な殺人者となり、どのように処刑されるのかがサスペンスとなる。香水にまつわるぞっとして蠱惑的なホラ話だ。

この主人公の造形が「アスペルガー」ではないか、と俺に意見を求めた人物がいる。そう。俺の若き美貌の師匠!さすが師匠。俺の理解者、よき助言者、まさに師匠。またまた惚れるぜ、師匠。

主人公は生まれ落ちてすぐ魚の臓物の掃き溜めに捨てられ、ほとんど仮死状態になった。言葉が遅い。感覚の異常な鋭敏さ。他者への共感のなさ、執拗なある特 定の香りへの執着、笑わないところ、生真面目に言われた通りを試す硬直した態度、思い通りに行かないと錯乱に近い行動をとる・・・。

いわゆる自閉症、広汎性発達障害の状態に似ている。アスペルガーとも言えるが、高機能自閉と言われる感じだろう。このような脳の器質的障害を前提にこの主人公の行動を見ると理解しやすい。

この主人公は自己の目的=究極の香水作りを果たすためには、殺人もなんら躊躇しない。物語を見ている者も、香水の妖しい魅力に興味をそそられ、あのように身の毛もよだつ製法で作られた至高の香水とはどのようなものだろう、と考えてしまう。

その香水の魔力はすさまじい。香りを嗅いだ者の理性を狂わせ、全世界の人々よ、抱擁せよ、接吻せよ、とシラーの詩を合唱で歌い上げた、これもアスペルガーが強く疑われるBeethovenの世界が現実化してしまう事態が起こる。

ジャン=パティスト は、パプテスマのヨハネ、と言う名前だ。聖書の福音書の始めに登場し、キリストの来る道を備えよ、と言った人物だ。ジャンが十字架で処刑されようと引き出されたとき、香水の魔力で群衆たちが「この人に罪はない!」と叫ぶ。これはキリスト処刑の場面だ。

ラストシーン間際、生まれた街に帰った主人公、究極の香水を頭からしたたり落ちるように浴びる。この行為自体が「バプテスマ」のようにも見えるし、「油注がれた者」、つまりユダヤ人の王=キリストを意味する姿だ。

このように、この「香水」の物語は隠喩を用いた壮大なホラ話だ。どこかシニカルな笑いが常に付け加えられ、映画として楽しんだ。

師匠の最後のひとこと。「汚いところで生まれるのもキリストと一緒ね。」

そうです、それでこそ師匠。俺と師匠、完璧にシンクロして楽しい映画談義のひとときだ。師匠にさっぱりとした素敵な香水をプレゼントしよう。愛してる、師匠!!

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「ブラック・ダリア」を見に行った。

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久々に美貌の女子(師匠・写真参照)と映画を見に行った。スカーレット・ヨハンソンを見るためだ。師匠も俺もスカーレットがお気に入り。

映画はブライアン・デ・パルマ様式。終わり近くにあの名作「キャリー」同様の手法が見られてぎょっとした(笑)

俺はエルロイの小説が好きだ。ホプキンスものと呼ばれる警官小説が好きだが、「ホワイト・ジャズ」「LAコンフィデンシャル」「ブラックダリア」などのLAものも好きだ。

エルロイの文体は重く暗い。錯綜する出来事に流されつつ懸命に踏みとどまる主人公の一人称独白体が印象に残る。起こる事件はどこにも救いがなく、登場人物すべてが嫌な奴だ。現実世界の醜さに苛立ち自分自身の傲慢さに嫌気がさし、疲れ果てている者にとって、このような汚らしい人間しか出てこない小説は慰撫となる。やかましい説教を聞かされなくてすむからだ。

映画「ブラック・ダリア」もエルロイの文体そのままに重苦しい。デ・パルマのショッカー・ホラー描写が凄惨さを加える。何度も戦慄した。

「シン・シティ」のショシュ・ハートネットが美しい。俺がうっかり、スカーレットもあまりぱっとしないし、出てくるのはみんな嫌な奴だし、花がない映画だな、と口を滑らせたところ連れの女子は美しい眉をキッと上げ「ジョシュが花でしょ!」と一喝した。格好いい!師匠!!ジョシュ・ハートネットはいいです(心から・・)。

ヒラリー・スワンク演じる悪徳宅地造成成金の娘が最高に(?)嫌な女だ。ヒラリー・スワンクがあまりにうまいので、映画を見ているとヒラリーをどうしても殺したくなる。期待に応えてくれるかどうか、映画を見て確かめて欲しい。

スカーレットは正直柄にあっていない。可愛らしさがあまり出てこない。俺が好きなのは「アイランド」のカマトト・スカーレット。あれは可愛い。「ロスト・トランスレイション」の不安げなスカーレットもいい。この作品では過去のある重苦しい役(エルロイの登場人物全員がそのような役柄なのだが・・・)。背伸びしているようで痛々しい。

もっと痛々しいのは、現在、この映画の相手役ジョシュ・ハートネットとつき合っていると言うことだ。師匠によると「お似合いじゃない?」とのことだが、俺には、なんだかなあ、と感じる。スカーレットが偉くなりすぎている。貫禄つきすぎ。もっと消え入りそうで儚げなところが良かったのになあ。。。。。なんて言ってみても仕方のないこと。

「ブラック・ダリア」事件の本物の現場写真もネットすぐ見られる。俺が最初にこの事件に関連する写真を見て思ったのは殺された女が美しいこと。映画でも殺される女が出てくる最初の場面でハッとする。徐々にその女の人となりが明らかになるのだが、悲しい女だ。無惨に殺されるその女に感情移入はできないが。

厚みのある物語が映画を見る満足感を与えてくれた。俺にとって美貌の女子と見る映画はどんな作品であれ最高のひとときだ。(嫌味な締めで失礼。露悪趣味のエルロイに影響されたようだ。)

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ジダンの怒り 映画「ベッカムに恋をして」を見て。

侮辱され暴行を働き退場。衝撃だ。

ジダンは何を言われたのか?

映画「ベッカムに恋をして」。インド系イギリス人のジェスは裕福な家庭に生まれ育った活発な女の子だ。ベッカムに憧れてサッカーをはじめる。父親に内緒で女子サッカーチームで活躍するようになる・・・。素敵に楽しい青春映画。

この映画で主人公のインド人少女ジェスが侮辱されて暴行を働き退場になる場面がある。シャツをつかんだ相手に食ってかかったら「パキ!!」と罵られた、と 言うのだ。誇り高いインド人なのに、パキスタン人呼ばわりされるとは!!許し難い!!そのことをぶちまけると、白人の恋人は、「俺もなれているよ、アイル ランド人だから」と言う。

ことほど左様に人種国籍に関する偏見差別は複雑だ。

日本人も海外で朝鮮人に間違えられた、と言っては怒っているだろう。白人と見れば「アメリカ人?」というフツーの日本人たちにうんざりさせられているカナダ人の友達がいる。

イタリア人は泥棒、というあからさまな侮蔑のステレオタイプがある。にんにく野郎!とか。アメリカのアングロサクソンはイタリア系を「ガーリック!」と言って罵る。これもひどい言い草だ。イギリスでも、ウェールズ人は泥棒、という歌詞の童謡すらある。

人間の本性には差別する心がある。

ああやって罵りあいをすることが戦争を引き起こす人間の本性なのだ、と感じる。

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「The Bourne Identity」 ピアノマンは、Bourne?

2005-06-24 21:28:25 テーマ:(は行)
次々に主人公ボーンを殺そうと迫る刺客を、優れた洞察力と強さで倒していく。偶然や、力任せの勝負はない。観察力、スピード、判断力で相手の一歩先を行くのだ。見ている観客よりもボーンの行動が先を行く。

なんて頭のいい主人公だ。スパイ・アクションはこの作品が新たな水準を作った。このくらい頭が良くなくてはもはや誰も納得しない。
      ボーン2
地中海で漁船に拾い上げられる主人公。身体にチューリヒの銀行口座を示すチップが埋め込まれている。イタリア語もドイツ語もフランス語も話せる。野宿しようとした公園で職務質問をする警官二人をあっという間に倒してしまう。自覚しないのに身体が動く。

俺はいったい誰なのか?自分が誰なのか分からない。
          ボーン3
行方不明になり、海岸にぼんやり立っているところを発見された「若人あきら」。郷ひろみの物まねで、有名になった芸人だ。いま、我修院達也と名を変え俳優をやっている。土屋アンナさんの出ている「茶の味」で老アニメイターを演じ異彩を放っている。

ピアノマンの話題も聞かなくなったが、ピアノマンはこの映画の主人公と同じ、秘密組織の「マシーン」ではないか、と思った。違うようだが。

どのように仕込まれたのか、主人公ボーンは機械のごとく正確に自分の状況を把握し、迫る危機を回避し、敵を打ち倒す。

敵?何故自分はねらわれるのか?それすら記憶にない。

手がかりを求め、ボーンの逃避行は続く。
       ボーン1
ボーンに巻き込まれて、協力することになる女の状況設定がうまい。孤独で金がないのだ。金と引き替えに、ぼろぼろの赤いオースチンでパリに行くことになる。

この映画は見るべきだ。これを見て、「The Bourne Supremcy」を見てください。損はない。

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「The Bourne Supremacy」 役に立つ護身術

2005-06-25 09:12:15 テーマ:(は行)
厚めの雑誌を筒のように丸めて持つ。何をするのか、と思うと、不意に敵が刃物で向かってくる。第一撃を雑誌で受け止め、反撃に転じる。

この作品で得た身を守る知識だ。
        BS1
俺は、大型免許を持っている。普通車の運転歴は長いが、改めて教習所で大型を取った。免許を持っていない未熟ドライバーがうろうろする教習所内で4トントラックを爆走させるのは、一種のカー・アクションだ。

そこで学んだこと。ミラーを見ること。普通車でも同じだが、殺傷能力の高い大型車は、わずかに触れただけで一気に全てをなぎ倒す。暴力が大型なのだ。交差点を曲がるとき、街路樹のある道を直進するとき、左右を入念に見る癖がついた。普通車を運転するときも慎重になる。

歩くときも同じ注意を払うようになる。左右を確かめ、ビルやホテルの廊下でも、ぼんやり歩けない。どこに暗殺者がいるか解らないからだ。左右が見えない交差部分があぶない。ボーンのように、死角になっていて確認できないところは先に進まない。

この映画には、危険への対処が詰まってる。ボーンに学べ!!!
        BS2
物語は、ボーンを殺戮マシーンに育てた人物を暴き出す勢力とその陰謀をもみ消そうとする勢力との確執を描く。どちらにとってもボーンは重要人物だ。しかもボーンはどちらの情報も知らない。巧みな設定だ。
        BS3
ボーンは真相に迫り、自分が殺した人物のことを思い出す。ボーンがその両親を殺した娘に会いに行く。そして、最後の真相、自分は本当に誰なのか、知るための旅に出る。
ニッキー2 にっきー3
ボーンのかつての連絡役、ニッキー(Julia Stiles)

このくらい、完結編が待ち遠しい映画はない。早く見たい

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「FOLLOWING」 才人 Christopher Nolan

2005-07-08 21:28:17 テーマ:(は行) 冒頭、箱に、写真、現金、小物などを丁寧に入れるのが見える。物語の鍵が詰まっている。モノクロも雰囲気を盛り上げる。
  following2 following
作家志望の怠惰な男。暇にまかせ、他人を付け回す。他人の生活を垣間見て、作品の取材をする、というのが言い訳だ。特に悪意はなかったのだが、ある男に感づかれ、思いもよらない状況に放り込まれる。

バットマン・ビギンズの監督、クリストファー・ノラン。「MEMENTO」の前の作品、「FOLLOWING」。

「The following is my explanation・・・・・」から始まる男の独白で話は進む。警察の取り調べの供述のようだ。「MEMENTO」ほどではないが、時系列が巧みに動かされ、サスペンスを生んでいる。

出来事自体は普通のことなのだが、時系列を組み替えることで先への興味がつながっていく。出てくる女優の顔立ち、雰囲気も白黒フィルムにぴったりだ。昔のフィルム・ノワールを思わせる。

following と言う言葉は、尾行する、あとに従う、追随する、真似するという意味がある。この物語でも、追跡する者だった主人公が、ある男の犯罪の「手口」を真似し、その犯罪に同伴し、後継することになる。

「手口」は、method だ。バットマンでも、この監督は、いままでの「手口」を使っているのだろうか?興味がある。ぜひ見に行って確かめたいと思う。

警察で供述している主人公は最後まで自分の状況がわかっていない。事件の全てを語り終えて、見ている俺にも事態が分かったのと同時に、男も自分の置かれている状況を正確に把握する。 この構成がうまい。

クライム・サスペンスの傑作だ。「MEMENTO」とともに見るべき作品だ。バットマン・ビギンズも見るが、この作品もいいぞ!!おまえら、見ろ!!!!
     NOLAN Christopher Nolan

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「BATMAN BEGINS」 Three Wise Men of GOTHAM

2005-07-14 02:24:21 テーマ:(は行)
コミックとしての「バットマン」が随所に生きている。

悪者の悪巧みは覆され、悪態をつかれた奴には、きっちり同じ言葉でお返しをする。痛快だ。

金持ちのステレオタイプ、豪華な車で美女を両脇に抱え、ホテルに乗り付ける。美女二人がわがまま三昧。ホテルの支配人がたしなめると、その場で、ホテルごと買い占める!かっこいい!!

支配人は失業して、屋台で食い物を売っている。わかりやすい。

ものすごい、バットマンカー!!あまりの性能に笑ってしまう。

バットマンとして出撃するためのメカニズムがいい。サンダーバードの出撃を思わせる。

悪を懲らすため、みずからが「恐怖」になって、正義を行う。そのことの苦悩が描かれる。コクのある充実した作品だ。映画三本見たような満足感が残った。語ることが多くて少しずつ書くことにする。
         gotham
旧約聖書、アブラハムの時代のソドムとゴモラを思わせる暴虐の街、ゴッサム・シティ。シカゴやニュー・ヨークを想定しているのだが、GOTHAMと言えば、Mother Goose。

Three wise men of Gotham
Went to sea in a bowl;
If the bowl had been stronger,
My song would have been longer.

ゴッサムの三利口、お椀の船で、海に出た。
もっとお椀が強ければ、俺の話も続いたのに。(侍訳)

(この項、続く)

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「BATMAN BEGINS」 「怒り」と「恐怖」

2005-07-14 20:12:06 テーマ:(は
悪を倒すこと。恐怖を克服すること。十分鍛練を積み、修行を終える段になって、大きな葛藤が生まれる。「悪」を倒すためには、自分も「悪」を行わなくてはならないのか?悪い奴は容赦なく殺していいのか?

娯楽作品とは思えない深刻な内容だ。見ている俺もその苦しみの中にたたき込まれ、決断を迫られた。そして、ブルース=バットマンの選択に心から喝采を贈った。

映画の冒頭から、幼い頃の思い出と、「悪」を見極める放浪が重ね合わされて始まる。クリストファー・ノーラン監督の「MEMENTO」の「手口」は、それとわからないほどに洗練されている。

クリスチアン・べール演じる、主人公ブルース・ウェインは、少年のとき両親を目の前で殺される。悪に対する怒りと、両親を守れなかった自責の念でいっぱいだ。悪を滅ぼし、意味ある人生を得るには、どうしたらいいのか、苦しみ続ける。

人間には、行動するエネルギーのもとがある。

名声を得たい。金持ちになりたい。何かを手に入れたい。女にもてたい、というのも重要だ。高潔な人は、他人のために働きたい。世界の平和に貢献したい。正義を守るために働きたい。そのように思うだろう。

「怒り」で行動する人もいる。親に対する怒り。置かれた境遇に対する「怒り」。嫉妬、羨望からくる「怒り」。無力な自分に対する「怒り」。自責の念。

ブルースは、「悪」と戦うため、また、自分の内に巣くう「恐れ」を克服するために放浪に出る。氷に閉ざされたヒマラヤ山中の断崖にそびえる、ラマ僧(?)ラーズ・アル・グールの要塞での修行は「ニンジャ」なもので、バットマンの基礎能力はここで養われる。

ラーズ・アル・グルを演じる渡辺謙の巻き舌混じりの英語は真似してみたくなる。

ここまでで、映画一本分。アクションシーンも楽しめる。ついでに、ブルースが山に行くときも帰ってくるときも、肩からかけていた、バッグが欲しい。丈夫で、使いやすそうだ。

(この項続く)

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「バースデイ・ガール」ニコールの演技力!

何の特徴もない平凡なイギリス人ジョー。銀行の窓口で10年真面目に勤め上げ金庫の鍵も預けられるようになった。申し分のない人物なのだが結婚しないまま来てしまった。ロシア人の花嫁を紹介するWEBサイトで一人のロシア女をオーダーするところからこの映画は始まる。

ジェネオン エンタテインメント
バースデイ・ガール

空港で迎えに行くと来たのはなんとニコール・キッドマン!!!!!俺だったら腰を抜かす。背が高くエキゾチックなメイクとあの顔立ち。ニコールはロシア語もさらったらしく実にそれらしい。本物のロシア人に見える。ナディアと名乗る。

ナディアは英語が話せない。紹介サイトでは英語が話せるってことだったのに!!ジョーは不満で「返品」したくて仕方がない。俺だったら全然かまわないのにね。だってニコールだよ!!

そのニコール、いやナディア、ジョーを徐々に誘惑しすっかり虜にさせてしまう。ジョーもナディアに惚れ込んで(そりゃそうだ、ニコールだもん)ロシア語の手紙を書くほどになる。

ここまでが発端。ここまではなんだかつまらない。ニコールが初々しくて綺麗なんですが。エロティックな場面もたっぷりある。全裸に近いニコールが見られる。ファンは必見!

映画が始まって30分ぐらい。ナディアが今日は誕生日だと言う。パーティをしよう、と答えるジョー。和やかな団欒に突如現れる男二人。ロシアから来たナディアの従兄と名乗る二人組だ。ここから意外な方向に物語は動いていく。サスペンス・タッチになる。ラブコメだと思っていたら犯罪物語なのだ。

主人公ジョーの味わう失望。ナディアの味わう荒廃。どちらも見ている者に共感を与える。この等身大の共感が後半の展開に大きく関わってくる。シナリオのうまさだ。

終盤は愛情の物語。最悪の状況に置かれるジョーとナディア。どう見ても接点のない二人がどのようにお互いを赦し受け入れていくか?ゴールは決まっている。脚本の腕の見せ所だ。シナリオはその難題をクリアしている。

それ以上にこの映画が成立するために重要なのはニコールの演技だ。常に美しく毅然としていながら、その場面にふさわしい最高の演技を見せる。俺はニコールの容姿が好きだが、それ以上に女優として演技の力が遺憾なく発揮されている。

むしろこの映画では容姿のハンディも見える。背が高く、エキゾチックで親しみを感じにくいきつい顔立ち。ニコールが両親から授かっただけの容姿に頼っていたらとっくに仕事を失っていただろう。ニコールの頭の良さ、女優としての根性が今の地位を保たせているのだ、と思った。

ニコール万歳!!

(映画はいまいち)

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「The Passion of The Christ」 キリストの受難

後半1時間に及ぶ拷問と十字架刑の描写に疑問を感じた。この映画一番の宣伝箇所だ。メル・ギブソンがイエス・キリストの受難をリアルに再現しようとした結果だ。
東宝
パッション

聖書を題材にした映画はたいてい面白い。古くは「天地創造」「十戒」。ノアの箱船やモーセが紅海を渡る場面など最高のスペクタルだ。ハリウッドでは、ネタに詰まると聖書映画をゴージャスに作ると当たる、というジンクスがあったらしい。

映画「ベン・ハー」も、キリスト時代を背景にベン・ハーと言う男を描いている。イエスを手助けして一緒に十字架を担ぐ男がベン・ハーだ、と言う設定になっている。聖書の記述に十字架を担がされたクレネ人シモンの話が出ているのだ。そこからその時代を生きた男の数奇な運命をダイナミックに描いた痛快史劇が「ベン・ハー」だ。

このメル・ギブソンの「受難物語」は聖書の福音書を忠実に描いていこうという意図がある。カットバックで描かれる様々なエピソードもすべて四つの福音書によっている。

姦淫の女の場面は秀逸だ。イエスが地面に文字を書く場面。石を放り投げ帰って行く男たち。足許に伏せている女の視線で描かれる。

姦淫の現場を捕らえられた女が律法に従い石打ちの刑になる。その場に立ち会ったナザレ人イエスが「あなたがたのなかで自分は一度も罪を犯したことのない者はこの女に石を投げなさい」と言う。そして地面に文字を書く。

男たちは我に返り持っていた石ころを放り出し年長者から去っていく。イエスは女に聞く。「誰か石を投げる者があるか?」「いいえ」「それなら私もあなたを罪に定めない。家に帰りなさい。これからは罪を犯してはならない」。

聖書を知っている者には隅々まで興味深く見ることができるだろう。そうではない者にとって様々な細部は意味を持たない。そのような作品だ。

会話の一つ一つ、大祭司カヤパやヘロデ王、ローマ総督ピラト、ユダヤ人たち、ローマ兵たち、それぞれの心理描写や会話はすべて聖書にあるとおりだ。ユダヤ人が衆愚と化し、イエスを憎むあまり、恐ろしい人殺しバラバを釈放せよ、とわめく場面。ナザレ人イエスを十字架につけろ!と叫ぶ場面。

2000年も前のことだが、今のテレビで見る衆愚の姿とまったくかわらない。ナザレ人イエスが十字架にかかる5日前には、歓呼の声で迎えたエルサレムの住民が、同じ口でイエスを十字架で殺せ!と叫ぶのだ。

バッハの「マタイ受難曲」「ヨハネ受難曲」にもこのユダヤ人たちの恐ろしい声が描写されている。興奮を表す常軌を逸した音型の反復と高揚でこの場面が描かれる。

「衆愚」の恐ろしさだ。2000年前から聖書には、はっきり描かれている。

むち打ちの場面、十字架刑の描写は長くて執拗だ。暴力の非情さは「マッド・マックス」と同質のものだ。明らかにやりすぎ。不快だ。こんな場面は見たくない。

サタンの表現はよかった。聖書にはもちろん出てこないがゲッセマネの園で祈るイエスの場面から現れる。男でも女でもない恐ろしい魅力ある人物。それがサタンだ。鬼や、ばい菌のような姿をしているのは幼稚な悪魔像だ。悪魔は最高に魅力ある人物として現れる。

蛇はサタンの象徴。キリストはサタンの頭をかかとで踏みつぶす。イザヤ書にあるとおり。そのような細かい隠喩がちりばめられた聖書マニアには興味深い映画だ。

マニア以外には勧めない。見ても得るものはないだろう。それより聖書読んだ方がいいよ。少なくとも四つの福音書を全部読んでから見れば面白いということです。

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