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「鬼火」 ルイ・マルの時代

アルコール依存の治療のため精神病院のアルコール病棟に暮らすアラン。治療の効果も現れ退院する日も近い。心を開いて受け入れてくれる仲間も多い。一方で遊蕩の日々の仲間たちはその変貌を囁き、アランの人生も終わりだ、と容赦のない陰口を言う。
      鬼火
アランは次々に昔の友人、恋人、仲間に会いに行く。その先々でことごとく失望を味わう。友人たちを拒絶して自暴自棄になっていく。

エリック・サティのピアノ曲が、モノクロームの美しい画面に重なる。主人公アランを演じる、モーリス・ロネは渋いハンサムだ。ジャンヌ・モローの美貌も見られる。奥行きのある白と黒の映像を見る楽しみは多い。ベルサイユからパリへ。町並み、車の形、店、カフェ、ホテル。
         ジャンヌ・モロー
「ヌーベル・バーグ」と言われた映画作家、ルイ・マル。昔、流行った。もはや古典だ。若い頃、この「鬼火」を劇場で見て、主人公の虚無が格好良くて二度続けて見た。ものすごく共感したつもりだった。

若い頃は何も知らないのにすべてを絶望して虚無に憧れたりするものだ。「絶望」のなんたるかも知らず。稼ぎもせず。

今またこの映画を見て、アランの心情がよくわかる。映画として、アランの脇を、笑い崩れる若い少女たちが通り過ぎたり、様々な技法を使ってアランの絶望と世間の断絶を表現していることに気づく。若い頃にはまったく気づかなかった。映画表現として良くできている。冒頭にスタッフロールが出るのにも意味がある。周到に作られた作品だ。
ルイ・マル「鬼火」 鬼火1
だが、あまりに脆弱なアランの思考に共感できない。死に取り憑かれた人間が、なにがあっても自死を選ぶ心理状態が描かれている。「自殺」というものが、アランが最後に手紙に残すように、くだらない「あてつけ」なのだ、と言えばその通りだ。

「ざまみろ!俺はおまえらに一生忘れない傷をつけてやる!」という企図。そこにはなんら深い思索はない。「誇大自己」のはた迷惑な自己顕示だ。そのことをあからさまにしている点で優れている。

ルイ・マルはこの映画のアランは自分自身だ、と言っているそうだ。この映画を冷静に撮ることで自殺をしなかった。

アルコール依存から立ち直るのは相当困難なようだ。3年も断酒して、たった一杯飲むと、ものすごく苦しむそうだ。映画の中に出てくるが、「最悪なのは、それで身体が慣れて元通りになること」。

懐かしい映画だった。

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