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「アイ アム サム」(7) おまけ。

サムの障碍は、「知能が7歳程度」と表現されている。ただ、順番、場所、ビートルズ、色、食べ物などに見せる異常なこだわりは、自閉症を思わせる。サムの仲間にも、映画オタク、猜疑心が異常に強いなど、偏執傾向の症状が描かれる。

何が言いたいかというと、障碍者と関わりを持たない人たちから見た障碍者像によってこの映画は出来ている。

サムのように、常に娘のために仕事を求め、理解ある経営者に雇われ、身ぎれいに日々を過ごしてくれたら障碍者のいる家庭はどんなにか気が楽か。障碍者の理想像とも言える。障碍を持った者に対して励ましの映画になるかどうか、または障碍者に関わりを持つ人々に娯楽になるかどうか。微妙なところだ。

障碍者を人ごととして見るには励ましを受けるかも知れない。ハンディを持った人々に無用の負い目を感じることもない。サムのようにがんばれ、と。世間に厳然として存在する理解不能な「差」を、この映画が埋めてくれる。

高齢者の介護がきついことを「金さん銀さん」の小ぎれいで可愛らしいおばあちゃんをフレームアップすることで無効化するような感じ。手のかからない、きれいな老人は介護に苦しむ人々の理想像であった。

実際に知的障害や自閉症の子供を持つ家庭は大変だ。てんかんの子供も多い。統合失調を併発する子供も。日に日に成長し、まあ、可愛い!と言っていられなくなる。障碍のある子供は天使のように可愛いことが多い。障碍のある夢のように可愛い子供をたくさん見た。

そのうちに自我か確立し、体格も良くなると女親では手に負えない。性衝動も暴力も激しくなる。なんとか青年期を乗り越え、30代に入り、太り出す。家に引き籠もりがちになり外出しなくなる。食べることでストレスを発散するようになる。母親も50代60代になりほとほと疲れ果てる。

何か特別の能力を発揮する自閉症に対する幻想もある。素数を見ただけで判別できる自閉症児とか。カレンダーを全部知っている子供、映画のデータを全部知っている、ビートルズのあらゆることをしている・・・。

社会に有益で、面白く身ぎれいな自閉症児は希有の希有、全くの例外としか言いようがない。リアルな自閉症児たちにそのような特殊能力は99.99パーセントない。期待はある。だが、それが幻に過ぎないのは、自閉症児を知っていればよくわかる。

映画は娯楽だ。お伽噺だ。障碍者についてリアルでないからいい映画でないというつもりは全くない。ただ、障碍者に対して幅広い見方も付け加えておきたい。

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